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お久しぶりです。
2007年8月26日fragolaです。
妊娠5か月に入りました。いたって順調です。
突然だけど、みなさんはなんで日記を書いていますか?
最近、考え出しました。遅い・・・
たぶんきっかけなんてすごく単純で、なんとなく、だったり友達がやってるからちょっとやってみようか、とか。
いろんな人の意見を聞きたいとか、思ったことをかいてすっきりしたいとか、愚痴の掃き捨て場だったりとか。
マナー違反や倫理感にかけるものじゃなければ、とりあえずいいものですよね。
ただ、偶然読んだ人に無意識にイヤな思いをさせてしまうということもあります。
でもそれは故意ではないし、ネットってそうやっていろんな人が見てしまうものだから、仕方ない。
テレビで嫌いな政治家の発言を「チッ」とか思って見てるのと同じ。
何が言いたいのかというと・・・。
最近、ミクシィの私の日記にコメントするとある人の存在がストレスなんです。
「それは微妙だね」
「でも・・・・」
「ていうか・・・だよね」
など、とりあえず否定から入って、それにたいする自分の意見を述べていく、その人。
日記にコメントするって、そもそもどういうこと?
そんなことをふと考えてしまった。
私はたまに、心にいろんなものがたまってどうしようもないとき、日記にかいて少しすっきりする、という手段をとります。
そういう人、他にもいらっしゃいますか?
それはあとから読むとすごく幼稚だったり愚痴っぽくていやな感じだったり、何えらそうなことを・・・と自分でも思ったり。
あと、自分の周りのことについての自分の意見をつらつらと書いたり。
それらは、誰かに発信しているというよりも、わたしの日記のタイトルのように「ひとりごと」なのだ。
たとえ、それが人との会話の中でのことでも話し終えたあとに開口一番、
「でもさあ」
って言われるの、好きな人はそういないと思う。
誰も喧嘩したいわけじゃない。
討論したいわけじゃない。
ただ、今話した気持ちを一度でも「うんそうなんだね」って受け止めてから意見を言って欲しい。
言って欲しいというか、それがマナーでは?
私の苦手なその人は、例えば私が「私の苦手なタイプの人」について書いたとする。
すると、「でもそういう人も悪気があってそうするんじゃないかもしれないし、自分も苦手って思われてるかもしれないし。世の中は人それぞれだしねぇ」
といった、コメントをする。
そんなことはわかってるっつーーの!!!!
それを言ったら、どんなことも「世の中色々、十人十色、いろんな事情があるから一概には言えない」
っていう結論にたどり着く、まるですべてを容認した神様みたいなことになると、思う。
そんなこと、そんなこと冷静になればわかるんだ。
でも、自分の中の生の感情だからこそ、熱くなってしまうんだ。
それを、私は解放したくて書いているわけだ。
「でも」なんて言葉が欲しいわけではなくて。
コメントを返さないと失礼だと思っているのだろうか?
だとしたら、むしろいらないぜ!
私は基本、「あ〜わかる!」と思ったりしたら、日記にコメントします。よっぽど間違ったことを書いてるなあと思ったりする日記には、あえてコメントしません。
他の人がすでに代弁してますから。
そして、いいこと書いてる日記だなあと思っても、そうそうコメントしません。
別に嫌っているわけでないんだけれど。
あふれてくるものを、何かの形で排出しないといけない私のほうが未熟なんでしょうか。
この日記も、はっきり言って愚痴なんですけど・・・。
DiaryNoteの相互の方とは、私は特に最近交信していませんが(笑)、それくらいがちょうどよかったりもします。
みなさんの日記を、テレビドラマを見ているかのような気持ちで、見ています。
いろんな人生があるなあって。
久々の日記がこんなんですいません。
妊娠5か月に入りました。いたって順調です。
突然だけど、みなさんはなんで日記を書いていますか?
最近、考え出しました。遅い・・・
たぶんきっかけなんてすごく単純で、なんとなく、だったり友達がやってるからちょっとやってみようか、とか。
いろんな人の意見を聞きたいとか、思ったことをかいてすっきりしたいとか、愚痴の掃き捨て場だったりとか。
マナー違反や倫理感にかけるものじゃなければ、とりあえずいいものですよね。
ただ、偶然読んだ人に無意識にイヤな思いをさせてしまうということもあります。
でもそれは故意ではないし、ネットってそうやっていろんな人が見てしまうものだから、仕方ない。
テレビで嫌いな政治家の発言を「チッ」とか思って見てるのと同じ。
何が言いたいのかというと・・・。
最近、ミクシィの私の日記にコメントするとある人の存在がストレスなんです。
「それは微妙だね」
「でも・・・・」
「ていうか・・・だよね」
など、とりあえず否定から入って、それにたいする自分の意見を述べていく、その人。
日記にコメントするって、そもそもどういうこと?
そんなことをふと考えてしまった。
私はたまに、心にいろんなものがたまってどうしようもないとき、日記にかいて少しすっきりする、という手段をとります。
そういう人、他にもいらっしゃいますか?
それはあとから読むとすごく幼稚だったり愚痴っぽくていやな感じだったり、何えらそうなことを・・・と自分でも思ったり。
あと、自分の周りのことについての自分の意見をつらつらと書いたり。
それらは、誰かに発信しているというよりも、わたしの日記のタイトルのように「ひとりごと」なのだ。
たとえ、それが人との会話の中でのことでも話し終えたあとに開口一番、
「でもさあ」
って言われるの、好きな人はそういないと思う。
誰も喧嘩したいわけじゃない。
討論したいわけじゃない。
ただ、今話した気持ちを一度でも「うんそうなんだね」って受け止めてから意見を言って欲しい。
言って欲しいというか、それがマナーでは?
私の苦手なその人は、例えば私が「私の苦手なタイプの人」について書いたとする。
すると、「でもそういう人も悪気があってそうするんじゃないかもしれないし、自分も苦手って思われてるかもしれないし。世の中は人それぞれだしねぇ」
といった、コメントをする。
そんなことはわかってるっつーーの!!!!
それを言ったら、どんなことも「世の中色々、十人十色、いろんな事情があるから一概には言えない」
っていう結論にたどり着く、まるですべてを容認した神様みたいなことになると、思う。
そんなこと、そんなこと冷静になればわかるんだ。
でも、自分の中の生の感情だからこそ、熱くなってしまうんだ。
それを、私は解放したくて書いているわけだ。
「でも」なんて言葉が欲しいわけではなくて。
コメントを返さないと失礼だと思っているのだろうか?
だとしたら、むしろいらないぜ!
私は基本、「あ〜わかる!」と思ったりしたら、日記にコメントします。よっぽど間違ったことを書いてるなあと思ったりする日記には、あえてコメントしません。
他の人がすでに代弁してますから。
そして、いいこと書いてる日記だなあと思っても、そうそうコメントしません。
別に嫌っているわけでないんだけれど。
あふれてくるものを、何かの形で排出しないといけない私のほうが未熟なんでしょうか。
この日記も、はっきり言って愚痴なんですけど・・・。
DiaryNoteの相互の方とは、私は特に最近交信していませんが(笑)、それくらいがちょうどよかったりもします。
みなさんの日記を、テレビドラマを見ているかのような気持ちで、見ています。
いろんな人生があるなあって。
久々の日記がこんなんですいません。
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